2019年3月5日
Aさん1984年生まれの35歳 のケース
人生曲線を書く
縦軸が幸福度
横軸が年齢
上100
下マイナス100
幸福度のポイントは、
今思い返すと幸せだったかどうかではなく、
どれだけ辛かったか、どれだけ幸せだったか、当時の感情を思い出して書く。
🟢初期設定
Aさんのお父さんはどんな人だったか
お店の立地コンサルをずっとやっててAさんが物心ついた、小学年低学年くらいの時に独立してビジネスを始めた。
マクドナルドが1,000店舗出店するための戦略を作る部署で、そのシステムを作っていたチームの1人だった。
創業社長の藤田田さんとバチバチやり合ってた。
Aさんのお父さんの性格
昔は頑固で亭主関白で家事や育児をしない人だった。
Aさんが10代の時はお父さんをすごく嫌っていた。すごく横暴に思っていた。
お父さんの偏屈具合、Aさんが小学2年生の時に、
お父さんがAさんへ「あそこの看板見てごらん。あそこに書いてある文章は価値概念、事実概念どちらだと思う?」って質問してきた時があった。
Aさんは3人兄弟の長男
Aさんのお母さんの性格
凄い美人でした。
お父さんとお母さんが離婚して、Aさんはお母さんと過ごす時間が少なくなった。
お母さんの印象は、小学生の頃に「お前のお母さん超美人だな」と褒められていた。
家の中だと怒りっぽい母だった。
お父さんとお母さんはバチバチしていた。両親が仲良かった時代を見たことがなかった。
常にケンカしていた。
「お父さんにみたいになっちゃだめよ。」と言われてきたので、女性に優しくする気持ちが芽生えたのかも。
Aさんが18、19歳の時に両親が離婚した。
「お父さんとお母さんどっちが好き」と訊いて来るのをやめて欲しかった。
「どっちが好き」と訊いてくる人が嫌いだった。
兄弟は仲良かったり、仲悪かったり、する。
弟さんへしたことをAさんは忘れているけど、弟さんは覚えている。
3人全員仲良かった時は無かったが、Aさんと次男、Aさんと三男、次男さんと三男さんが仲良い時期はあった。
・お父さん、お母さんの性格
・お父さん、お母さんそれぞれどういう口癖があったか
・どういう環境に生まれたか
・「どっちが好き?」って訊かれてたので、
きっとAさんに潜在的に「人を好き嫌いで判断してはダメ」という概念が生まれたのだろう。
「女性に優しくしなければいけない。」という概念も生まれた。
自分のお父さん、お母さんを理解するというのを最初にめちゃめちゃやった方が良い。
Aさんの分析大好き性質は、先天的にも後天的にもお父さんからもらったもの。
お母さんは社交的な人
お父さんの良いところとお母さんの良いところを組み合わせて、Aさんが成立している。
お父さんの悪いところとお母さんの悪いところを組み合わせている人もいる、これは地獄です。
だいたい悪いところの方が引き継ぎやすい。
家系のカルマ 解決しないといけないテーマがある。それを解決しないと次へ進めない。
そういう意味でも親の理解は大切
その中でも親がビビっていること、親の恐怖を理解しないといけない。
Aさんのお父さんは何を恐れていたのか
だいたい感情の発露は、恐怖からくる
お父さんが怒りっぽかったのは何か恐怖があったから。そこを見れると親への理解が進む。
そっかウチの親はこれにビビってたのかーと。
お父さんは「結果を出したい。認められたい。」というのが強かった。
仕事が失敗続きな時は辛かったんだろうなと思える時があった。
お母さんがヒステリックな時は「もっと自由に、自分らしくやりたいのに、なんで専業主婦とかやっていないといけないんだろう」と閉じ込められている感があっただろうと思える時があった。
今のAさんは立地コンサルやって、家事や育児をやって、エレメンツコードやって、シェアハウスやっている。
奥様に出会って、Aさんは色々なものが取っ払われた。
Aさんが奥様に出会う2年半前までは、Aさんが友人に「別人」と言われていた。
10代の頃に友達がいなかったことにAさんが気づいたのが、20代になってからだった。
良くも悪くもAさんは自分に対する客観性が無かったので、自分が正しいと思うことをひたすらやっていたので、
相手がどう感じているかを気にしたことが無かった。
自分としては普通のことだと思ってたし、周りの人が引いているのも空気読めなかったのでわからなかった。
その時の感情は覚えていないけど、出来事として覚えているのは ふてくされて教室の後ろのゴミ箱の中にはまっていたことがあったらしい。
同窓会に行った時に「お前こういうことしてたよな。」と言われることがある。
小学生の時は幸も不幸もなく淡々と生きていた。
幼稚園の時は分析好きだった。ウルトラマンの怪獣をノートにリストとして書いていた。
覚えたてのひらがなで、怪獣の体長や体重、図鑑を書き写していた。
小学生頃の時に一番悲しかったのは、ドラゴンボールを見逃したこと
母方の祖父が学研に勤めていて、学研の教材を色々持ってきてくれて、
小学生の時は毎日国語と算数のプリントを1枚づつやるのが日課だった。
中学校 ゴミ箱にはまっていたのが中学2年生の時だった
その時その時で目の前のことに夢中だった 目の前のことでやりたいと思ったことに集中していた
不良にも殴りかかっていった 蟻の巣を踏み潰して遊んでいる奴に後ろからドロップキックかましていた
戦隊ヒーローのレッドになりたかったから無駄な正義感があった。
友達はいなかった。友達いなくても楽したかった。
避けられても避けられたことに気づかないのでついていってた。鈍感だった。
おかげで不幸を感じることも無かった。
高校生のとき
大学に入って客観性が身についた 自分がだめ人間であることがわかった。
客観性が身についたのはなぜか、
Aさんは知識として知っていたが「分析」という言葉に出会ったのが大学生になってからだった。
分析的なことはやっていたが、これを「分析」と呼ぶのを知った。
例:小学校4、5、6年生の時は蟻の研究が好きだった。蟻の巣から出てくる蟻をみて2、3時間過ごしていることができる人間だった。ノートにまとめていた
高校 部活でバンドを始めた。好きなミュージシャンの歌詞をノートにまとめていた。「分析」
どういう歌詞を書くんだろうかこの人はというのを考えていた。
ミスチルの桜井さん、BUMP OF CHICKENの藤原さん
ミスチルがなぜ良い歌詞を書くか、BUMP OF CHICKENがなぜ良い歌詞を書くか、を言語化したかった。
アジアンカンフージェネレーションの後藤さん
音読みの四字熟語 リライト
歌詞分析 椎名林檎はモンスター
大学生 人文学 ヒューマニティ アート作品を見てその時代背景を分析する授業
アメリカの授業90分は基本ディベート、教科書は明日までに何ページ読んできなさいと宿題で出てた
例:ギリシャ神話のダビデ像 描かれ方が時代によって違う
強く描かれている時は、その時の権威を主張していた
民衆が苦しんでいるからこそ英雄が欲しくて、英雄っぽい描き方がされた
ブルジョアジーが台頭してきたから、金に物を言わせ作りまくった美術品があるとか
全部歴史の中で人が感じている感情は、当時の代表的な芸術作品に全部表れている
この作品にはどういう気持ち、どういう考えがこもっていると思う?というのを授業で話し合っていた
「分析」することを食べる、味わうとも言い換えている
「分析」は「分ける」こと ダビデを時代毎に分けていた
「分ける」は「わかる」
「わからない」人は「分けられない」 🟢ポイント
例:カレーに詳しい人はスパイス毎に分けられる わかっているから
わかっていないから分けられない
分ける作業をしていくことで人はわかっていく 分析力が上がっていく
人体で吸収するのも分けているから 分解して分けるから吸収できる
分けられないのはわかっていないから
20代 客観性が身についた 分析力が身についた 彼女ができた
自分で自分をしっかり分析した
日本の小中高にいた時は、Aさんは変わっているから放っておこうだった。
アメリカの大学の時は、変わった人の集まり、異端児の集まりだった。
言い合っていたので、自分が知らなかった自分をたくさん気づかせてもらった。
🔴自分のことは自分が一番わからないので、自分にフィードバックくれる人が一番大切。
言いたいことを言いたいようにフィードバックくれる人ってそんなに多くない。
日本人の場合特に。
フィードバックくれる人は、自分の周りに揃えておいた方が良い。自分を客観視するためには。へこむけど。
へこんだ時期を超えてくると、自分と同じ基準でディベートしてくれる人がいっぱいて楽しくなった。
シンパシーを感じていた。
大学の後半の1、2年くらいの時が、18歳になるまでの時期より濃かったと感じている。
生徒は全員日本人、先生は全員外人、授業は全部英語 レイクランド大学
20代の頃はとても楽しかった
大学卒業後
日本で2年間、大学で2年間のカリキュラムだった。
2年間過ごした後、アメリカに行かず日本の部分だけ卒業してフリーターになった。
フリーターの3年間
九段会館にあったホテルでウェイター、配膳をやってた
初めて社会に触れた時だった。毎日「お前常識ねえな」と言われていた。
「頭のおかしい人間だったんだ」と実感していた。
頭のおかしいことを思い知らされて堕ちていくことがあった。
当時の時点では「気づかないで自分の世界に浸っていられる時は幸せだったな」と思っていた。
地元で知り合った彼女がいたけど、お互いに精神不安定で足の引っ張り合い、慰め合いをして落ち込む時が多かった。
成人式で再開して仲良くなって付き合うようになって付き合って3日目でAさんの家に一緒に住むようになって、
アルバイト先も一緒になったので24時間ずっと彼女と一緒に過ごしていた。
初めて働いた、お金を稼いだ
恋愛沙汰でゴタゴタして、アルバイト先で村八分をくらった
バイトメンバー10人で食事している時に、Aさんを挟んでAさんが呼ばれていない飲み会の話が始まった。
明らかにシカトされている、無視されているのがわかった
恋愛も泥沼、職場も村八分なので堕ちていた
復活 3月3日
大学にいた頃の後輩がAさんの堕ち具合をみかねてイベントに誘ってくれた。
mixiのオフ会、ご飯会に参加してみた。変な人多いというのを発見した。2006年3月のこと
その頃くらいにおもしろい人っているんだなと思った。Aさんもそういうところで生きていきたいと思った。
その2週間後くらいに九段会館でのバイトを辞めた。
mixiのオフ会、ご飯会で知り合った友達が店長をやっている白木屋に移った。
イベントをたくさんやってた ミクシー繋がりで飲み会やったり、バーベキューやったり、キャンプやったり、していた。
1年間白木屋で働いた後、お父さんに誘われて、お父さんの立地コンサルの会社で働くようになった。2008年夏のこと。
2013年に500人キャンプに初参加した
30歳 2014年 大人500人キャンプ主催の代表をやった。お父さんの会社も辞めて独立して個人事業主になった。
こんな人生あるんだ、こんな面白い人いるんだ、こんな生き方ありなんだと感動する人がいっぱいいた
毎年500人キャンプやっていて毎年面白い人達がいっぱいいて、刺激を受けて起業しちゃったり、結婚しちゃったり、する人もいた
Aさんもモテて彼女ができた 独立して個人事業主 お客さんいる、彼女いる、仕事ある、人生絶頂期と思っていた
2015年頭 彼女と同棲を始めた 半年後彼女が出て行ってしまった 半年間仕事が全然無かった
お店の立地と売り上げ予測のコンサルという仕事が非常にニッチな業界でAさんとAさんのお父さんの2人しか日本にいない。
営業かけてもお客さんが取れない面がある 営業かけなくても大事さがわかっている人はわかっているから
ある日突然誰もが知っている全国チェーンの経営幹部から連絡があったりとか、安定していないお仕事だった
お父さんの会社にいた頃は、お父さんが本を何冊も出していて、その業界の権威というものがあったので大企業からのオファーがあった
会社を辞めて独立すると、ブランドがなくなるので Aさんのスキルはお父さんと同じくらいか、ある分野に限ってはお父さんを超えているんだけど、仕事が激減した
Aさんの2015年の1年間の年収60万円だった 家賃が月12万円だった
最初は2014年に稼いだお金があったから引っ越しもできたし、彼女も看護師として働いて共働きでした。
仕事がない、稼げない、エネルギー落ちてくる、Aさんを格好いいと思っていた彼女ががっかりして冷めていく
ある日突然別れを切り出され「私が出ていくからしばらくはここに住んでいいよ」と彼女さんに言われた
向こう2ヶ月分は家賃を払ってもらっていた
2016年2月までこの状況が続いた
2015年頭の時点から半年間も仕事がなくゆるやかに堕ちていったし、
2015年夏に彼女が出ていってからさらに堕ちて、半年間何もなくずっと死んでた
Aさんの当時、スキルはあるけど、ビジネス何もできない人間だった
仕事をするスキルと仕事をとるスキルは違う
Aさんは営業をやったことがなかったので、お客さん対応、接客よりも、入ってきた仕事をいかにちゃんとクオリティ高くこなすかしかやったことがなかった
ニッチな仕事なので友達はお客さんにならなかった 例:イラストレーターさんなら友達がお客さんになる
個人でお店を出したい人は仕事にならない、ちょっと違う
友達には相談できない、言ったってどうせわからないだろうから相談する必要もない、
でも自分じゃどうにもならない、お金が無いにもかかわらず半年間で50万円のセミナーに参加した
頭下げてお金借りまくって、後からお金を返して行った
年収60万円から3年後2018年には年商1,500万円に変わっていた
2016年2月にシェアハウスに引っ越して人生が好転した 復活のきっかけ2つ ・シェアハウスに住んだこと ・奥様と付き合ったこと
シェアハウスは村社会 1人の時間なくなるから絶対に嫌だと10年間言い続けていた
同棲していた彼女から出て行ってと言われ、彼女名義で契約していた家を出て行ってからシェアハウスにおいでと招き入れてもらった
一軒家を借りて6、7人で住んで、ドミトリー相部屋で1人部屋なかった
Aさんも10歳年下青年と相部屋だった
Aさんはコミュニケーションを大切にしていた
コミニュティ型シェアハウス
Aさんが一緒に住んでいる人たちと向き合うことからは逃げないぞと思って、
意を決してシェアハウスに入った
本音の自己開示と愛からのフィードバックをテーマとして大事にしていて
シェアハウスのメンバーで話し合っていた
シェアハウスに入った当初は、自分がニッチな仕事やっているからどうせみんな言ってもわからないから言う必要ないよねと思っていたが、言うようにした
今仕事でこういうのがあって苦しいとか、こういうことやりたいと思っているとか、分析が楽しいよとか
自分がオタクみたいにやっていることを、自分以外の人間がわからないことをAさんがわかっているけれども
話すようにしたら、変わった。アドバイスは役に立たなかったが。
自分が仕事で抱えている課題や思いをみんながわかってくれている状況が出来上がると、不思議とうまくいき始めた
最初はお父さんの会社にいた頃のお得意さんがAさんに連絡をくれて、仕事をもらった
月1回、2ヶ月に1回コンスタントに仕事をもらっている
年間純利益1,000万円出せるお店をつくった
10坪、10〜15席くらいしかないラーメン屋さん
自分が自分の思いをちゃんと表現できるようになり、それを一方的にではなくちゃんと伝えることができるようになり、
Aさんと一緒に暮らしているみんながそれぞれどういう思いを持っているかをAさんが受け取れるようになったら、
少なくともAさんにとって敵がいなくなった。
シェアハウス創設者も「奇跡は常に2人以上だよ」と言っている「me」ではなく「we」になろうと言っているが、
Aさんは「ああこう言うことなんだな」と体感した。
2015年年収60万円だったが
2016年年収240万円にあがった 普通に生きていけるようになってその過程で奥様と出会った
直接の出会いは友人が主催した飲み会イベントだった
Aさんと奥様は共通の友人が多くて10年前からニアミスしていて、ようやくこのタイミングよく出会えた
出会って1ヶ月後にはお付き合いが始まった、そこから1年後くらいに結婚した
今が一番幸福
幸福はなるものではなく感じるもの
「お金がなくなったらどうしよう」という不安を奥様にもシェアしたところ
奥様が「そしたら雑草にマヨネーズかけて食べよ」と言ってくれた
Aさんはそう言われたことで何も心配がなくなった。
「もっと頑張って稼いでよ」ではなくて、お金がなくて貧乏になってもそういう風に奥様がAさんとの時間を楽しんでくれるんだとわかったことで、Aさんは仕事に対するやる気が出た
仕事いけてきたり、エレメンツコード作れたり、
🟢ポイント 落っこちている時の共通点はなにかを見つける
Aさんは自分を知った時に谷に落ちている
復活の仕方も考える
復活している時の共通点
Aさんは環境と人で復活する
大学に入って 最初はへこんだけれども、ここにいる場ってめちゃめちゃ面白いんじゃないかって気づいた時から復活した
20代落っこちた時は変な環境にいたから、友達のおかげで面白い人、面白い場所に出会えて復活した
30過ぎくらいの大底の時も人と出会ってシェアハウス行って場所変えて復活した
Aさんの人生の雛形は人と場所
人の谷底の落ち方、上がり方って絶対共通点ある
まず自分で分析してみる
Aさんは自力で這い上がったことは一回も無い
自力で這い上がる人はほとんどいない だいたい人がきっかけで復活する
🟢Aさんの場合は視野、視座、視点が狭まった時に落ちていく
逆に人と出会って、視野、視座、視点が広がった時に復活していく
Aさんの場合は視野、視座、視点が狭めず、良い人と出会い続ければ谷には落ちにくい。
Aさんの人生から学べること
みんなも自分の掘り下げていくと共通点がわかってくる
こうやって人の人生を味わってくると出てくる
落ち方がわかってくると、復活の仕方がわかってくる
人と場所を変えた方が良いねとか
自分の人生でやってみてほしい
人生曲線を書いてみてなぜ谷に落ちてしまったか、なぜ復活したのか共通点を洗い出す
「なぜ谷に落ちてしまったのか」「どうやって復活したのか」それぞれにおける共通点を見つける
いつ頃からエレメンツコードを始めたか
ちゃんと商品としてリリースしたのは2017年の夏 1年半前 やってみたらできた
Aさん自身が人間で苦しんだからエレメンツコードを作った
Aさんは自分が他人から見られる目と自分が自分を見る目が乖離するタイプ
Aさんが人間関係で苦労したからこそ生み出されたのがエレメンツコードと思えば、その苦労は無駄じゃない
コンテンツを作る人は自分の辛かった経験を元に作る人が多い。
Aさんが思うに営業力、開拓していく力は付いていないと思います。
Aさんはお父さんの会社から独立して、2015年の1年間はお父さんとは離れて仕事をしていた。
Aさんはブランドを失って苦しんだが、Aさんのお父さんは前線で仕事する人、人手を失って苦しんだ
2016年にシェアハウスに引っ越して来た時と同じくらいのタイミングで
Aさんとお父さんが「もう一回パートナーとして一緒にやろう」とタッグを組み直した 上司部下の関係ではなく
それをやったら、Aさんにとってお父さんの会社とタッグを組めることでブランド力がAさんにつくし、
お父さんはメルマガやホームページとか見せ方が死ぬほど下手くそだったので、Aさんがメルマガを書いてweb関係の仕事をやっていたら普通に仕事が入ってくるようになっていき売上があがるようになっていった
お父さんとの関係性を改善して、お互いどういう関係性でいたいかを見つめ直したら、そうなった
🟢Aさんのスキルがあがったわけではない Aさんはもともとスキルが高く、スキルを磨くことが好き
Aさんにはもともとスキルが備わっていて、そこに人間性が組み合わさったから調子良い
人って仕事を取ろうとするとスキルを磨き出すけど、スキルは仕事をとってこない
結局人として選ばれる
例:どんなに仕事できる立地コンサルタントでも人間性がクソだったら仕事を頼まない2度と
スキルが高いだけの人はたくさんいるけど、そういった人にはあまり仕事がこない
スキル磨く大事だけど、どちらかというと円滑なコミュニケーションや人間性を磨いた方がお客さんが増える最終的に
仕事が増えるとスキルもあがるから仕事が楽しくなってくる
スキル磨きたい気質の人だったら放っておいても自分で勝手にスキルを磨く
結婚する前に叶えておきたい8つのシチュエーション 恋愛で体験してみたい8パターン(下ネタ)
Aさんは大学で付き合っていた彼女と別れた
その理由が「もしこのままこの女性しか知らない人生を歩んだとしたら、絶対20年後に女子高生といけない関係を作ってしまう男になる」と思った、その心残りがありすぎて。
結婚する前に奥様にも全部話してある。
例:浮気してみたかった ワンナイトしてみたかった 年上の女性と付き合ってみたかった 年上の女性に誘われてみたかった 全然彼氏ができなくてコンプレックスを感じている年下の女子としてみたかった JKとしてみたかった SFを作ってみたかった ちゃんと幸せな家庭を築きたい
大学の時にAさんが尊敬していた先輩が彼女がいるけど、めちゃめちゃプレイボーイで「俺いままで腐るほどいろんな女性に出会ってきたから、今の彼女だけで良いと心から思うんだよね」というセリフがめちゃめちゃ格好良いと感じた。
Aさんはそうなりたかった。Aさんは好奇心が湧いて、やったらどう感じるだろう、どうなるんだろうと、体験しないままでいくと成仏しない、不完全燃焼になる。それを思っている自分を受け入れないといけないよねと思う。
是が非かで言うとダメなことだけど、それを思っている自分自身を認めないといけないなというのがあった。
Aさんは10年かけてほぼやりきったことで、満足したので他の女性に興味がなくなった。
浮気してみたかったけどやってみたら楽しくなかった
ワンナイトもシチュエーションがどきどきワクワクしていたが終わってみるとすごいめんどくさくなった。
男性なので衝動的になる時はあるけど、終わった後どうなるかが予見できるようになったので価値無いなと思うようになった。
Aさんと奥様の夫婦としても大事にしていることとして「自分がこうしたいと思ったことは、まず自分でやりきってみないとわからないからやりきる」やりきった後で次にやりたいことが出てくることはあるよね。
Aさんが分析力が高いのはAさん自身の経験も含んでいるから
体験して、経験して、分析するから
ストリートビューで済ませる企業もあるが、だいたいそういう企業は売上予測できないし、
Aさんからしたら「現地に行ってみないとわからないでしょ」な感じです。
好転したきっかけ 因果関係
Aさんへ連絡をとってくれたり、コンスタントに仕事をくれるお客さんをAさんは当時嫌いだった。
理由は悪気がないけどすぐ「負けて」(=安くして)と言ってくるから。
Aさんがお父さんの会社で働いていた時は、Aさんが我慢して仕事をしていた
自分の本音出さないで仕事をしていた
シェアハウスに住んで本音の自己開示が大切と思うようになって、
ある時に「次負けてと言われる時があったら、このお客さんを失う事になったとしても嫌だと言おう」と思った。
嫌だという感情を押し付けるのではなくて、なぜ嫌だと思うのかを掘り下げて 自分で自分の仕事を価値付けしているかまでたどり着く
これこれこういう理由でこの金額にしているんだから、それを払ってもらえないというのは自分の価値を受け取ってもらえていない、自分を大事にしてくれていない人だよね
でももしかしたら相手には悪気がないかもしれない、だから 次負けてと言ってきたらちゃんと交渉しようと思った。
Aさんが一方的に相手の要求をのむでもなく、感情的に突っぱねるでもなく
僕はこういう理由でこの金額でお願いしたいです。でももしそちらの予算としてこうだったら代わりにじゃあこういう風なものでどうですかと交渉できるようになったらいいやと考えるようになった。
そういうスタンスが自分の中にできると、お客さんを怖くなくなり、何言われても嫌だなと思わなくなった。
お客さんとコミュニケーションが取れるようになり、その後お客さんから「負けて」と言われなくなった。
お客さんとのコミュニケーションの取り方を変えた。
お客さんだけでなく、シェアハウスのみんな、日常生活で出会う人全てに対してそのようにコミュニケーションの取り方を変えた。
そしたら、良い感じの人しか残らなくなり、良い感じの人が良い流れを作ってくれる。
シェアハウスに入るまでのAさんが弱かった
人って弱いとどうなるかというと敵が増える 敵がたくさんいた
Aさんにとって合わない人が敵になっていた ちょっとAさんが腹たつことを言う奴が敵だった。
シェアハウス入って本音で話しましょうとなった時に、Aさんが強くなった
人は強くなると敵が減る
言い方を変えるとAさんが人としての器が大きくなった
敵だと思っていた人が敵ではないのではないかという発想に変わってきた
そうすると相手を理解してみようという発想に変わってきた
相手と話してみよう コミュニケーションとってみように変わってきた
Aさんがどんどん強くなっていったがゆえのビジネスの成功と思える
Aさんが強くなったからお父さんとも和解できたし、お客さんとも良い向き合い方ができるようになったゆえに仕事が伸びたという因果関係
うまくいっていない時は自分が閉ざして敵を作っていた
活躍しているけど敵が多い人がたまにいるのはその人が弱いから
コメント