歴史は支配者によって作られる
教科書に書いてあることが真実ではない
教科書には出来事しか書いていないので、そこに至る背景や理由が書かれていないから
行間が無いから
🟢歴史を構成する5つの要素、順番
1.気候
2.外的要因
3.支配者の意思、感情
4.国民のムード
5.時代の流れ、ムーブメント
気候がめちゃくちゃ大事
気候から全て生まれるといっても過言でないくらい大事
例
仏教、虚無主義、ニヒリズム
この世は諸行無常だよ
万物流転
一切皆空
なぜ虚無っぽいかというと、仏教の発祥の地インドはめちゃくちゃ気候が厳しいから。
日照り、疫病あるし、イナゴくるし、寒かったりするし。
地獄絵図
だからこそ、もしこの世にいたら苦しいよね。あの世に行きたいよね、この世どうにかしたいよねっていう宗教ができあがる。
一方日本は、八百万の神っぽい世界観がずっとありましたけど、
これはなぜかというと、日本には四季があって、自然が豊かで、食材が採れて、災害が多いけど、みんながのほほんと豊かに暮らしていたから、あれも神様だよね、これも神様だよね、っていう思想、宗教観が生まれた
序盤、日本で仏教は流行らなかった
なぜ流行らなかったというと、日本人は民族性としてあんなに虚無っていないから
気候から宗教や思想が派生する
例
戦国時代はなぜ起こったか
日本全国の各地で豪族が下剋上してそれぞれの領地を拡大していく
これ、教科書でだいたいどう書いてあるかというと、1467年の応仁の乱で室町幕府の権力が失墜して、地方の豪族が幕府を無視して好き放題やりだしたから戦国時代になった。
地方の有力大名、豪族達とかが京都に行く際に地元を留守にしてた。
だから地方の政治を担っていた配下達が下剋上して乗っ取った←ここは本質ではない
なぜ応仁の乱が起きたか
世継ぎ問題
とある将軍が弟に将軍職を譲ると決めてた後にたまたま息子ができてしまって、将軍職を弟ではなく息子に譲ると言い出して、
息子派と弟派に分かれて、息子派と弟派が争うお家騒動が長引いたのが応仁の乱
応仁の乱が起きたから幕府の権威は失墜したけど、もともと失墜してた
応仁の乱が起こったから戦国時代になったでは説明がつかない
もともと失墜してたし、もともとお家騒動は何回も起こっていたし、それでも戦国時代にはならなかった
戦国時代になった理由は寒かったから
室町時代後期から家康が天下統一する頃まで寒かった
慢性的な飢饉だった
江戸時代は暖かった
寒かった
寒かったから食料が不足していた
不足すると奪うしかない
奪うのに他人の領土に侵攻する
みんながやりだした
戦国時代になった
江戸時代に戦争が無かった理由の1つは暖かったから
お米が穫れたから
食料が足りていたから
食料が無くなると荒れる
結局一番大事なのは気候
外的要因、ペリー来航や元寇襲来
権力者や支配者の意思、感情
みんなが思っているより権力者や支配者にはポンコツが多いし、想像以上にドロドロしているし、良い言い方すれば人間らしい
いまの政治家はけしからんと言うけど、
政治家は昔からけしからん
偉人1人対してクズ10人くらいの割合
偉人にも好き嫌いがあって、好きが政策にもろに出る
それによって国民のムードが作られる
幕末は、徳川幕府けしからんという国民のムードができて討幕という時代の流れになった
寒い時期は荒れる
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