install of story 32回目、宮沢賢治

エネルギーの出どころ

いかに多才であらゆるジャンルの物事に興味を持っていたか

37年しか生きていないけど、普通の人の人生の5回分くらいの人生を送っているかな、という生き様をしている

銀河鉄道の夜
風の又三郎
注文の多い料理店
などの作家のイメージがあるけど、それは彼の一側面でしかなかった

実際の宮沢賢治

教師
童話作家
土壌研究者
農業主導者
法華経信者
鉱物オタク
など様々な顔を持った人

宮沢賢治、福沢諭吉、夏目漱石、若い時は鬼気迫る感じだった

福沢諭吉は若い頃勉強しまくって寝落ち

宮沢賢治
エネルギーの量と行動の量が異常

宮沢賢治ストイック伝説

エピソード1 2,000メートル級の山々に何十回と登山している

岩手山 いわてざん
すごく忙しいなか、宮沢賢治はこの山を登ることをライフワークにした
スポーツが好き、自然が好き、好きだから登るという側面もあったが、御来光を拝むためと創作活動のためといわれている。

深夜に登りはじめて、闇の中でも山を登れるくらい熟知していた
深夜に登り始めて、朝日をむかえながら、法華経を読経する変態

冬は雪が降って山が登れなくなる
登れなくなるまで、月2回山を登ってた

宮沢賢治は、歩くと登るに対しては大変ストイック

歩き方を極める
歩きながら創作活動する
机ではまとめをしている

心象スケッチを自分で編み出した

エピソード2 東京で出版社に勤めていた時代

午前中の8:00から12:00くらいは職場で仕事して生活費を稼いでいた
午後から19時くらいは日蓮宗の宗教団体、国柱会で奉仕活動、ボランティアをしていた

20時くらいに帰宅して夕飯を食べる

その後執筆活動していた

1ヶ月に平均原稿用紙3,000枚書いていた
1日につき原稿用紙100枚くらい書いていた
1日につき40,000字書いていた
原稿用紙は1行20字の20行の400字が標準
つまりおそらく寝ていないはず、朝まで原稿を書いていた これを7ヶ月続けていた

その後、妹の病気で地元に戻ったので、
上記ストイック生活が一旦途切れた

エピソード3 地元に戻ったけど、ちょいちょい東京に来ている

2か月や3ヶ月だけ東京に行く時があった
タイピスト学校に通いながら、
エスペラント語を習っていた

宮沢賢治が実父に手紙を出していた
僕は毎日図書館にいて、午後2時まで勉強して、
家のある神田に帰って、
タイピスト学校に行っている、
そのあと数寄屋橋の交響音楽団でチェロやオルガンを教わって、
そのあと丸ビルの中の出版社、
会社の事務所で工学士の先生からエスペラント語を教わり、
夜は帰って次の日の予習をしているんだと。

1時間も私は無駄にしていません、
音楽までやって余計な苦労をするとお考えでしょうが、
これは実は歌や童話や文学など言葉の根底になるものでして、どうしても必要なんです。

もうお叱りを受けなくても、どうしてこんなに一生懸命に生きねばならないかと自分でも自分を情けなく思います。

宮沢賢治のストイックさが最も表れているのが宮沢賢治の詩

変態の極み、滲み出ている、全部出ている

風が呼んでいる
宮沢賢治が病気で寝込んでいる時に書いた詩疾中 病気中というタイトルの詩

風がおもてで呼んでいる
さあ起きて赤いシャツといつものぼろぼろの服を着て早く表へ出てくるんだと
風が叫んでいる
俺たちはみなお前の出るのをむかえるために
お前の好きなみぞれの粒をよこぼうに飛ばしている
お前も早く飛び出してきて、あそこの丘にある葉の無い黒い林の中の
美しいソプラノを持った俺たちの仲間の1人と約束通り結婚しろ

要は、外に出ろと風が呼んでいるんだと。
宮沢賢治が病気中だけど、風が呼んでいるから、俺は外に出なければならないと。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ


小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
➡️これが宮沢賢治がなりたかった者

重要なのは、 宮沢賢治がどうしてここまでストイックに生きれたのか そして、このエネルギーの源泉はどこだったのか

理由3つ
1.宮沢賢治に大きな志があって、その志がいかに大きなものだったから

志3つ
1.雨にも負けず風に負けずの詩で歌っている通りの人になりたかったから

2.地元の岩手県を理想郷にしたかったから
ど田舎だし、米取れない、寒いし、理想郷とはほど遠い貧乏地域だったからこそ、
理想郷にしたい
その為に農民の生活を向上させたいから。

3.直接人の役に立ちたい

宮沢賢治が頭が良いから学問を勉強して、
論文を発表して、
みんなが幸せになったとかではなく、
直接人の役に立ちたい
自分でやりたい
商人の家に生まれたからこそ、
商人とは他人の価値を別人へ横流しているだけなんじゃないかと、
それだったら自分でやろうと。

基本的には宮沢賢治には経済観念が無い
損得勘定がない、これやると損するなとか、明日のご飯どうしようとか、がない
むしろ無償で奉仕するのを良しとしている
これは、法華経の影響と、商人の家に生まれたというコンプレックスから

お金を稼いで豊かに暮らそうとか、
妻を娶って子供を作ろうとか、
家庭を作ろうとか、
家族を持とうとか、
誰かに認められたいとか、
逆に言えば
経済的に自立しようとか、そういう気持ちは一切無かった。

普通の人は、
仕事してお金をある程度稼いで、
結婚して奥さんを持って、
子供を作って、
家族を持って幸せに死んでいきたいとか、
社会的にある程度認められて死んでいきたいとか、
大学卒業したら仕事して自立しなきゃ、

宮沢賢治は普通の人と考えが異なり、
大人になってからも経済的に自立することは無かった
宮沢賢治が東京へ行く時など、いつまでも親父の援助を受けていた

宮沢賢治は父親へ言い訳の書いている手紙を出していた

私は決して意志が弱いのではありません
あまりに生活の一面に強い意志を用いている関係からこういう方には力が及ばないのであります。

宮沢賢治は意志が弱いからお金を稼いだり、家庭を持って自立しようとしていないわけではなくて、
他の大きな目的があるから、
普通にお金を稼ぐとか、奥さんを娶るとか、家庭を作るとか、そこにまわすエネルギーは無いんです、という言い訳

父親は宮沢賢治に対して途中で諦めてから、ずっと宮沢賢治を応援している

宮沢賢治の生き方は、
普通の生活をすることにエネルギーを割くんじゃなくて、
自分の大きな目的に自分のエネルギーをフル投下してた。

宮沢賢治は自分をテーマした作品があり、
日常の生活ではなくもっと大きなテーマに取り組んで死にたい

宮沢賢治は音楽や学問を突き詰めているけど、実はどれも自分の為ではない

自分が好きだからやっているというのはもちろんあるが、
自分の膨大なエネルギーを使って、
狂ったように勉強して、
自分のエネルギーをもっと大きくして、
世のためや人のためにエネルギーを循環させようという考え方

要するに宮沢賢治自身が死ぬほど勉強して、直接世に出す

みんな勉強する理由は自分の為がほとんど
良い暮らしをしたいから、
出世をしたいから、
良い家に住みたいから、
良いモノを食べたいから、

宮沢賢治は勉強するのは自分の為ではなく、世の為や人の為だから、エネルギーがどんどん湧いてくるし、エネルギーがどんどん大きくなっていった

自分の為だと
エネルギーが湧かない、
最もモチベーションが下がる、続かない行為

宮沢賢治は自分の為じゃないから、エネルギーがめっちゃ湧き出てくる

私が、
宮沢賢治の話をずっとしているからといって、
私の人生が豊かになるかというと豊かにならない

でも、
みんなの為にインプットして、
みんなの為にアウトプットする

具体例としては、
大学に合格する為、
お金を稼いで悠々自適に暮らす為、
っていう風に勉強するよりも、

医者になって、
〇〇という病を治したい、
病気の患者を救いたいとか。

お客さんの為に本を読むとか。
世の中を良くする為に学問を学ぶとか。

自分の為よりも、
他者などなにかもっと大きなものの為に勉強した方が、
エネルギー湧くし、
モチベーション高くなるし、
脳の定着率、記憶力良くなるし、
インスピレーションの質や量も圧倒的に上がるし、
インスピレーションとは、ひらめき、急にわいたうまい思いつき

自分の為に勉強するとしたら株とか投資とか勉強するけど、恐ろしいぐらい勉強するモチベーションが湧かない

多くの人は自分の為に勉強しているけど、 それをまずやめないと宮沢賢治レベルのエネルギー、モチベーションが湧いてこない

宮沢賢治、福沢諭吉や夏目漱石も自分の為にやっていない、

夏目漱石は、
日本人が失った日本の心をとり戻りしたいという目的で取り組んでいた

福沢諭吉は、
西洋に追いつけ、追い越せではなく、
西洋と東洋を融合しようという理由や意図で取り組んでいた

昔も今もすごい人は自分のために生きていない

スティーブ・ジョブズはコツコツと自分の資産を運用しているようなセコイことをしていたはずがない

生きる目的や志は、大きければ大きいほど良いし、エネルギーも湧いてくる

多くの人は、
自分以外の誰かや何かにエネルギーを注ぐと、
エネルギーが減る、枯渇するような錯覚を持っている

せっかくの自分の貴重なエネルギーや時間を自分以外の誰かに割くのはアホなんじゃないかと思っているだろうけど、

実際には自分の為にエネルギーを使う方が減る
循環しないから。

誰かに教えるのが最高に良い

結局、自分の為に生きている人は、人間としてのスケールが小さいので、周りの人から応援されなくなる

世界には今まで無数の天才や変態が現れたけど、彼らの共通点は、目的が大きくて、自分の為に動いていなかったこと

世の中や社会、業界を変えるような仕事をしたいなら、
目的を大きくして、自分の為に動かないように変える、のを絶対に守らないといけない。
これを外して偉大になった人いない。

●宮沢賢治、バランスが良かった

人間、自分が好きでもないことを永遠と他人の為にやり続けるのも不可能です。

エネルギーを最大化するには、
自分の好きなことで他人の役に立つ

好きな事は無限にできる
好きじゃない事は続かない

宮沢賢治は童話、自然、農業、鉱物がもともと好きだったし、それらがたまたま他人の役に立ったからと重なったから、エネルギーがいっぱい湧いた

辛いと嫌いは別
絶望9希望1
希望1で救われる
なんどもやめたくなることがあるけど、好きだから自然とやってしまう

●エネルギーがあった要因3つ目は、一体感

全ての行動はバラバラではなく、目的に繋がっていた
目的に全てが集約されていた

エネルギーは分散させるのではなく、凝縮させないといけない

凝縮させるには軸が必要

軸があるからエネルギーが回転する

独楽、こまと同じ

軸があるとぶれにくくなり、エネルギー循環が長く続く

多くの人は軸が無い

宮沢賢治の素晴らしいところは、
プライベートの宮沢賢治と
仕事中の宮沢賢治に
1ミリも違いが無いところ

プライベートと仕事が完全にごちゃ混ぜになっている

オンオフが無いというのが大事

いつでも、どこでも、どんな時でもあまり変わらないという人は少ない

作っちゃう人は多い、演じてしまう人が多い

エネルギー的にはよくない

仕事だと頑張ろうと思って、
なりたい自分を演じる
これは日頃頑張っていない証拠
日頃本気ではない証拠

宮沢賢治は常に本気だった常にフルオンで、オンオフなかった オンオフしないから、エネルギーも消費しない

仕事とプライベートでオンオフあるというのは、分離しているということでもある

24時間365日、態度も姿勢も関わり方も変わらない事が重要

あなたの自然体が凄ければそれで良い

自然体に欠陥があるから不自然になる

自然体の自分を磨いていく

会う人によって自分を演じたり、変えていたり、すると、
どの自分が本当の自分なのかがわからなくなる

自分がたくさんいるようになり、
自分の中で自分が何者かわからなくなり、
どんどん自分を信頼できなくなり、
エネルギーが漏れていく。

自分はどんどんひとつにしていく、集約していく、統合していく方が良い

大きな志があった
自分の為と他人の為のバランスが良かった
一体感があった、自然体の上達を磨いていった

自然体を磨くこと

不自然な人はたくさんいる
自分が自然体になっていけばいくほど不自然な人は1秒でわかるようになっていく

外見でもわかるようになり、
心の揺れ動きがわかるようになり、
文章でもわかるようになる、メールとか

下手に自分が不自然な状態で生きていると、
不自然な人に気づけない
似た者同士だと気づけないから

軸ができて、
ブレなくなって、
自然に生きれるようになると、
他者に対してアイツおかしいなと気づけるようになる

自然体に生きれるようになるには、脱力する

宮沢賢治はずっとONで生きていたけど、
同時に脱力もしていたはず

宮沢賢治は風の又三郎、風のような人間になりたかった

そんなにゴツゴツしていなかった自然体
だからこそ、いろんなことに気づけたし、
童話もかけたし、人からも凄い愛されていた

脱力する為には、いろんな恐怖を取り除いていかないといけない

自分の素を出すことで
他者に受け入れられるか、受け入れられないかの恐怖
自分の素を出したらヤバいんだ、人から嫌われちゃうんだという恐怖、固定観念

素を出していないから怖い

素の自分を出すには勇気を出すこと

みんな、自分の素を出せないと不安
不安だとやることは、努力してスキルを磨き出す
でも、素の自分を出せるようになるわけではない

最終的には素の自分なんて言葉を使わなくなるのが理想

自分の恐怖を可視化するのも大切

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