黒田官兵衛は、部下に対して、家族に対して、悪い噂が無かった
姫路の小寺家の家老の息子、
今で言えば会社の副社長の息子みたいだった
一夫一妻の戦国大名だし、子供とも仲良かった。家族や家臣とも仲良かった。
パワーで押し切る上司でなく、人柄で仲良くなっていたし、強かった。
頭良いし、生ぬるくなかった。
出世欲無かったし、秀吉使って世間を回したかった。
キリシタンだった。
黒田如水、水のような人間で、出世に興味無かった人格者だった。
秀吉から見た黒田官兵衛は欲が無いから、コントロールできなくて、非常に警戒していた。
黒田官兵衛は、
家臣に対して教え諭すように接していて極力叱りつけることが無いようにしていたが、
どうしてもという時は猛烈に叱りつけた。
ただし叱りつけた後は簡単な仕事を言いつけるなどして、後腐れ無いように心がけることも忘れなかった。
部下を死罪、手打ちにするような事もなかった。
部下には物を与えず売るようにしていた。
物をあげると、もらえない人からは不平や不満が出るので、
欲しい人は買うという形で部下に売りつけていた。
晩年は部下への接し方をあえて冷たく振る舞っていた。
部下から如水へではなく如水の息子への忠誠心を養う為
田中角栄は出世欲あってギラギラしてた。
黒田官兵衛は隠居してからは、
身分の低い、貧しい子供達を家に迎え入れて、存分に遊ばせていた。
泥足で家の中で遊んだり、襖破ってたり、しても決して怒らなかった。
友達もめっちゃ多かった。
関ヶ原起きた時
官兵衛は三成が嫌いだったし、天下取ろうとしていた。
最期は普通に老衰で亡くなった。
官兵衛は、武芸を一切やらなかった
嫌いな人への対応
軍官は官兵衛
家康と官兵衛は関わりなかった
秀吉の奥さんや周りの人が官兵衛を大好きだった
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